『言葉を育てる : 米原万里対談集』


著者情報等米原万里著、筑摩書房、2008.
寄稿者名大学院1年生 福田 陽子(2013年1月)
本学所蔵なし
『言葉を育てる』を読んでいくうち、英語に対する私の考え方が根本的に間違っていたことに気づかされた。本書の中で米原は、「通訳者は、話者が一番言いたいことは何かを理解してそれを伝える能力が求められる。意味として伝えるところまで責任を負っている」と述べている。
 これまで私は、英語を訳すとき、一字一句を対応させるように留意していた。できあがった英語の内容を表現しているはずの日本語はぎこちなく、原文の表す意味を他者に伝え得るものではなかったが、私はそれが問題だとは考えず、ぎこちなくても逐語的に訳したものが正しいとすら思っていた。なぜなら、私が受けてきた英語教育の中では、逐語訳の方が良い点がもらえたからだ。高校時代までの私の英語勉強法は、日本語訳を忠実に覚えることに集中していた。テスト前には教科書の訳が載った参考書や英語の成績のよい友人のノートをせっせとコピーし、頭に詰め込んだ。なぜそのような訳になるのか、その文章にはどのような意味があるのかまでは理解しようとはしなかった。そして友人と「英語はデジタルだよね」などと言い合っていたのである。表面的なものしか表しておらず、奥行きに欠けるといったような気持ちで言っていたのだが、今考えるとあまりにも英語圏の方々に失礼であった。表されている微妙な感情や奥深い意味を理解することができなかった、いや、理解しようとしていなかっただけなのに・・・。しかし、私にとって、中学・高校での英語はデジタル化された信号以上のものではなく、生身の人間が日常に使っているものとは意識していなかった。
 本学大学院に入学して、英語と接する機会も増え、一字一句を逐語的に訳すよりも内容を把握し意味を理解することが重要であることに気づいた。そして、今回、米原による本書を読んで、自分の気づいたことに「形」が与えられたと感じた。
 本書の中で米原は、「求められるものは、単なる訳ではなく、言葉の持つ意味を表現すること」だと述べている。そのためには、「概念をコード化し、皆に分かる信号に直して、言葉として声に出したり文字にしたりしなければならない、しかも、文化的な背景を理解していなければ、本当の意味を理解させることは難しい」と言い、さらに、「文章を書いた人物の社会的背景や立場、社会状勢も考慮しなければならないが、現実べったりで考えに奥行きがないものもいけない」とも指摘している。外国語を理解するとは、デジタル信号を置き換えることなどではなく、世界や社会や人間に対する知識・理解・想像力を総動員して表現者の伝えようとした意味に迫る作業なのであった。さらに言えば、外国語でなく母語によるコミュニケーションであっても、相手の言っていることを本当に理解しようと思えば、自分の全身全霊の力を総動員しなければならない。自分の前提を一度否定して、違う前提に立ってみなければ、表面的理解に終わって、しかもそれに気づかずに見過ごしてしまうかもしれないのだ。
 意味の核心を捉える理解力を養うには、知識を広げ想像力を鍛えることが必要である。そのために今私には何ができるか。本書には、「本の数だけ違った人生がある」とあった。本は、人生体験を倍増させてくれる。自分の人生は一つきりだが、多くの本を読むことで、多くの人生を体験し、理解力と表現力とを育てることができるだろう。
 米原の本書とは、大学院の「国際医療コミュニケーション」(因京子教授担当)の課題図書として出会ったのだが、本書は確かに私の理解力を広げてくれた。多くの人に私と同じ体験をしてほしいと思う。