『存在と時間』


著者情報等(上・下巻)マルティン・ハイデッガー著、細谷貞雄訳、筑摩書房、1994(原作1927).
寄稿者名助教 森山 ますみ(2010年5月)
本学所蔵http://opac.jrckicn.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=17627
本書は「20世紀最大の哲学者」と言われているマルティン・ハイデッガー Sein und Zeit(初版1927年)の全訳です。非常に難解で、私自身も十分に理解しているとはとても言えませんが、あえて紹介するのは、NHKスペシャル「命をめぐる対話“暗闇の世界”で生きられますか」を見たことがきっかけです。人間は何があれば生きていけるのか・・・この、簡単には答えられない、しかし、命と向き合う現場に関わる看護職者には避けて通れない究極の問いと向かい合っていくのに、この本が力を与えてくれると思ったからです。

 この番組は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を抱えた人々を描いています。症状が進行したT氏は、今は頬の筋肉をわずかに動かして人とコミュケーションを取っていますが、それも不可能になったときには人工呼吸器を外して欲しいと訴えています。一方、K氏は、既に自己表現を完全に失ったTLS(完全な閉じ込め)の状態にあるのですが、その家族は、コミュケーションができなくてもT氏が家族の声を聞いていること、生きていることが、家族にとってかけがえの無いことだと語っています。私はこの番組を見て、彼ら一人ひとりの存在、存在のあり方、その存在の意味は何なのか、彼らに何があれば生きていけるのか、存在していると言えるのか・・・と考えさせられました。お二人とも制限された状態の中で固有の生を生きていました。それを見るうちに、以前に読んだ『存在と時間』の内容を想起し、「生きる」「存在する」とは、単に生物学的な生ではなく、彼ら自身(=現存在)が共存在と認める家族が、彼ら自身のものとして了解している存在(=実存)であることなのではないか・・と考えました。

 本書の中心にあるのは「存在とは何か」という問です。ハイデッガーは、自身の存在について問うことができる存在者として「現存在(ここにある自分)」、現存在が自分であることを自覚させられる状態を「本来的な状態」と規定し、現存在の在り方、「不安」「死」の本質を現象学の方法を用いて探求しています。『存在と時間』の中にある、物事の根本を問う探求の姿は、看護職者として出会う一人ひとりの、また、自分自身の、「存在」と本来の「存在」のあり方を問う時に多くの示唆を与えてくれるでしょう。生と死に関わる事柄と向き合うときに、この本を読んだことが大きな力となるはずです。