『ようこそ地球さん』


著者情報等星新一著、新潮社、2012.
寄稿者名2年生 蒲池 晃昌(2013年10月)
本学所蔵なし
 皆さんは、どのくらい本を読みますか。私は、あまり、というか、ほとんど読みません。絶対面白いと薦められて読み始めた本でも、30ページを越えたあたりから瞼が重くなる…って、飽き性なんでしょうか。そんな私が、今夢中になって読んでいる本を紹介します。
 それは、星新一の『ようこそ地球さん』というSF短編集です。一つの話は、短いもので5ページ、長いものでも15ページ程度です。どれも、日常にはとうてい起こりそうもない、しかし起こり得るかもしれないと、何だか思えてくるようなお話。2つ、紹介します。
 まず「最後の事業」という話です:ある会社の社長が、「冷凍冬眠をして未来に目覚めるようにすれば、遠い未来を見られるんじゃないか」と思いつく。この提案は大いに当たって、全ての人が冬眠してしまう。人々に仕事を押し付けられ、1人だけ残されたその会社の平社員が、ぶつくさ文句を言いながら掃除をしていると、食糧不足に悩む宇宙人が現れる。宇宙人はその平社員に、食糧を分けてくれと頼む…。
 この話の結末は明らかには書かれていません。でも、この後、どうなったのか、なんとなく想像がつくでしょう?
 次に紹介するのは、「殉教」という話です:あの世の人と会話できる機械が発明され、あの世はこの世なんかよりずっと素晴らしいところだと聞いて、世界中の人々が我先にどんどんその機械を手に入れていくが…。
 人間は死から逃れられません。死は誰でも怖いでしょう。しかし、私たちの信じる科学が、死の恐怖なんて意味がないと証明したとしたら?身近な人が、別に平気だよ、と言ったとしたら?皆さん、それぐらいで死んだりするものか、と断言できますか?
 「殉教」の最後に、死ぬことを選ばなかった少数の人々が出てきます。その人たちが死ななかった理由は、「機械で会話して素晴らしいと聞いたけれども、何だか信じられなかった」とか、「機械に関心がなかった」とか、さまざまですが、彼らは一括りに「信じることのできなかった仲間たち」と呼ばれています。「信じることができない」とされる人たちが、この後、どのように生きていくのか?星新一は、それを考えることを私たちにゆだねています。生きていく中で、「信じる」とは一体どういうことなのだろうか?…この本を読んで私の頭の中に湧いてきたこの問い。答はまだ出ていません。今も考え続けています。
 このように、この本に書かれているお話の本当の結末は、読み手の中にあります。もしかしたらあるかも?と思われるたった5分で読める話から、頭の中に何かが起きてしまって、それがどんどん広がっていく…皆さんも、この本を読んでそんな体験をしてみませんか。