学長室便り No.6 平和を祈る

イスラエル軍による攻撃が続くパレスチナ自治区ガザでの死者は、2万人を超えています。そして、ウクライナではロシアによる侵攻による激しい戦闘が続いています。厳しい寒さ、劣悪な衣食住環境はこの戦火を生き延びている人々の尊いいのちに脅威をもたらしています。そして日本では能登半島地震による自然災害、羽田空港における航空事故が起こり、犠牲者への哀悼を捧げる新年です。

世界中の人々が心憂える中、本学では、赤十字の一員として、世界で起きている人道危機についてともに学び、考え、平和を祈り願う機会を持つことにしました。12月21日に全学をあげて「日本赤十字社 イスラエル・ガザ人道危機 赤十字オンライン活動報告会~武力衝突の激化から2カ月~」を視聴し、その後、学内に設けられた赤十字モニュメント前に参集し、「ロウソクの灯に平和の祈りを捧げる」ときをともにしました。集まった一人一人は、それまで「世界は何ができるのか、私たちは何ができるのか」と自問していたと思います。ロウソクの灯を前に祈りを捧げることにより、人々の痛みや苦しみを理解するために思いを寄せることの大切さを改めて実感し、「今、私たちにできること、自分の考えを行動にしてみる」という勇気が沸いたのではないかと思います。

世界で危機が繰り返される中で、私は、「祈り」を日々の行いとしている自分に気づかされています。大学への行きかえり、自宅近くの神社の前で、家族や友人の無事を祈る私がいます。いつごろから始めたか記憶は定かではありませんが、新型コロナウイルス感染症パンデミックの猛威が世界を包み込み、いのちの儚さと大切さを痛感したころからだと思います。今では、「祈り」は私の日課となっています。つかの間でありますが、大切な人々を想うことで自身の安寧と世界へのつながりを感じ、平穏な気持ちになることができます。

祈りとは、「宗教によって意味が異なるが、世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。自分の中の神と繋がること(三省堂例解新国語辞典)」とあります。日本語の「いのり」の語源は「生きる(い)ことを宣べる(のり)」。つまり、自分の行動を宣言することとされており、宣言することは「加護を求めること」。自分の生命を感謝し、見守ってもらう事が祈りの本来の意味とされています(舞の道:祈りの本当の意味とは?「いのり」に秘められた語源、願いとの違い https://mainomichi.com/mblog/about-prayer/)。祈りの語源は諸説あるでしょうが、私はこのような説明が自分の祈りの意味に近いと思います。人々の苦しみや痛みを他人事とは感じられない危機の時代、私たちは、他者の痛みを自分事として感じ、自分が今日も無事に生かされていることへ感謝し、世界とのつながりを感じつつこれからを生きることへの力を得るのだと思います。

皆さんとともにささげた平和の祈りは忘れられないときとなりました。