映画『君のためなら千回でも』


著者情報等マーク・フォスター監督、シドニー・キンメル他制作、デヴィッド・ベニオフ脚本、2007.
寄稿者名1年生 金城 麻未、勝山 智美、原 千伽子(2012年7月)
本学所蔵なし
マーク・フォスター監督の『君のためなら千回でも』を紹介します。これはアフガニスタンを舞台にしたカーレド・ホッセイニのベストセラー小説を原作とした映画です。
 1978年、ソ連侵攻前のアフガニスタンの、平和で近代的な首都カブールに、12歳のアミールと一つ年少のハッサンという二人の少年がいました。アミールはパシュトゥーン人、ハッサンはハザラ人でしたが、ハッサンの父がアミールの家の召使であったためハッサンとアミールとは同じ敷地内に住んでおり、兄弟のように一緒に遊ぶ仲良しでした。カブール恒例の凧揚げ大会では、二人は息の合った技で見事優勝し大喜びしたのですが、それも束の間、その大会中に起きた出来事のためにアミールはハッサンを裏切ってしまうことになります。翌年、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、アミールはハッサンと気まずくなったまま、父親と共にアメリカに亡命しました。・・・20年以上の時が流れ、米国に住むアミールに、故郷の事情に詳しい、アミールを子供の時から可愛がってくれた知人から、電話がかかってきました。知人から衝撃の事実を告げられ、また、ハッサンが亡くなるまで自分のことをずっと大切に思ってくれていたことを知ったアミールは、意を決し、身の危険を冒してタリバン独裁政権下の故郷へと向かいます。ハッサンの大切な一人息子を救うために・・・・
 この映画には、ソ連による侵攻前後からタリバン支配下のアフガンの様子や民族問題が、知識の乏しい私にもよくわかるように、ありありと描かれていました。侵攻の前と後の違いは、まったく驚くばかりでした。ソ連侵攻前のカブールには緑もあり、凧で遊ぶ子供たちや住民は生き生きと生活していました。一方、ソ連侵攻後は、緑も美しい家のある街並みもにぎやかな市場もなくなっていました。タリバンが住民を無差別に殺してしまう場面や公開処刑の場面では、思わず目をそらしたくなりました。しかし、これが事実、いや、事実はもっと悲惨なのかもしれません。私は今まで、アフガニスタンのニュースをテレビや新聞で見てはいたけれども、注意をして見ていなかったのだと気付かされました。
 この映画は、主人公のアミールとハッサンを通して、自分自身の友達との関係について見つめ直す機会を与えてくれました。また、アフガニスタンの事情、世界の事情について、私の目を開いてくれました。どうしてソ連はアフガニスタンに侵攻してきたのか、また、2008年にアフガニスタンで復興支援を続けていた日本人が殺害された事件があったけれども、あれはどういうことだったのか、ちゃんと調べてみようと思います。
いつかアフガニスタンが以前のような緑のある国へと戻り、子供たちが凧揚げをして遊べるようになってほしいと思います。皆さんもぜひこの映画を見てください。

1年生 金城 麻未


 この映画は、アメリカで300万部を超えるベストセラーとなった、アフガニスタン出身の新人作家カーレド・ホッセイニの小説を、ゴールデングローブ賞の候補に挙げられたこともある実力派監督マーク・フォスターが映画化したものです。ソ連侵攻やタリバンによる暴力的支配に翻弄されるアフガニスタンとそれ以前の平和で穏やかなアフガニスタンを舞台に二人の少年を主人公として、人間の罪と赦しを描いています。
 誰もが、友人に対して後ろめたい気持ちを抱いたことがあると思います。すぐに謝ることができたら何でもなかったのに、謝るタイミングを逃してずっと気まずい思いをした経験はないでしょうか。この物語の主人公であるアミールは、自分の親友であるハッサンがあるとき暴力を受けているのを見ていながら、知らないふりをしました。そのことで、彼は罪悪感に苛まれます。アミールは、謝るのではなく、間違った方法を取ってしまい、二人の幼少期の友情関係は終わってしまいます。それから月日が経ち、ソ連侵攻のために亡命をしてアメリカで成人したアミールは、古い知人から電話を受け、彼のいるパキスタンに行くことになります。そこで、ハッサンが亡くなったという痛恨の事実と、ハッサンの子供は生きているということを知るのです。
 私がこの物語で心を惹かれたのは、少年時代に親友が暴力を振るわれているのに知らないふりをするほど臆病だったアミールが、彼の息子を助けるために命の危険を冒してまでアフガニスタンに向かうことです。そして、一度終わった友情関係が、ハッサンが死ぬ前にアミール宛てに書いていた手紙と彼の息子との関係を通じて修復されるところです。
 一度亀裂の入った友情関係を謝ることで修復することはよくあることです。私は、ハッサンが死んだとき、アミールはハッサンに謝ることが出来ないのでずっと償えないままになってしまうと思いました。しかし、この物語のアミールは、ハッサンの死後に彼との友情を取り戻しました。そのことが、私の心にじわじわと広がる温かさを与えてくれました。
 人に謝る機会をなくしてしまった、それはとても辛いことですが、でも終わりではないかもしれないのです。どんなに関係の修復が遅くなっても、その人がこの世にいなくなっても、修復できる可能性があるということを伝えて、この作品は後ろめたい気持ちを抱えている人を勇気づけてくれます。是非、皆さんにもご覧になって頂きたいと思います。

1年生 勝山 智美


 映画『君のためなら千回でも』の一番の見どころは、主人公アミールの成長です。少年の頃は父親からけんかができるくらい強い子になってほしいと思われていたほど臆病者でした。しかし、さまざまな出来事を通して自分の意思を強く持ち、人間の尊厳を守るためにはどんな相手にも立ち向かう強い意思と勇気を持つまでに成長します。
 まず、アミールの臆病さかげんは、伝統的な凧揚合戦のときに「君のためなら千回でも」と告げてアミールの凧を拾いにいった親友ハッサンがハザラ族だとして数人のパシュテゥーン族の男の子に暴力を受ける場面でクローズアップされます。アミールの凧を少年たちから守りぬくために暴力に耐え続けるハッサンの姿を見ても、怖くて、ただものかげから見ることしかできませんでした。
 しかし、アミールが人間の尊厳を守るために強い意思と勇気をもつことが大切だと知ったのは、ソ連のアフガン侵攻による危険を逃れるために父親とパキスタンへ向かう途中の出来事においてでした。アミールたちが乗った車は取り調べのためソ連兵に止められます。兵士は車に乗っていた女性に目をつけ、「少しの時間をいっしょに」と要求します。それに対し、アミールの父は、銃を向けられながらも、「恥じる心はないのか」と毅然とした態度で立ち向かいます。恐怖に怯えた女性の人間としての尊厳を守るためには暴力にも屈しない父の姿に、アミールは勇気を持つことの大切さを知ります。同時にアミールは、ハッサンが受けた暴力と屈辱に対して、臆病ゆえに無力だった自分を悔います。
 つぎに、アミールがハッサンの強い意思と勇気を思い知ったのはハッサンの死を知ったときでした。父とともにアメリカへ渡り、大学を卒業した後、アミールは念願の小説家になります。処女作も出版され、妻と平和な生活を送っているところへ、伝えたいことがあるからアフガニスタンに戻ってくるようにと父の旧友から電話がかかってきます。ハッサンの暴力事件の後、勇気のない自分を不甲斐なく思い、偽装の泥棒事件でハッサンの父親ともども家から追い出してしまって以来、一度も会うことのなかったハッサンが、アミールの家をタリバン勢力から守ろうとして銃殺されたことを知らされます。
 クライマックスはアミールが暴力に対して勇気を振り絞る場面です。ハッサンが残した息子ソーラブを、タリバンの手から取り戻すために、危険なアフガンへと向かいます。ハッサンへの罪をあがなうかのように、タリバンの暴力に抗しながら、ソーラブを取り戻すことに成功します。ハザラ族の血が混じったソーラブの奪回はアミールが勇気を持つまでに成長したことの象徴であると同時に、アミールとハッサンの和解を意味しています。さらに、人間が民族や階級を超えて共存する良識を持ちうる希望を象徴しています。
 『君のためなら千回でも』は、アミールの成長を縦糸にアフガニスタンを襲う非人道的な歴史的事件を横糸に織りなしながら、たとえどのような状況にあっても人間の尊厳を守るために行動する勇気を持つことの大切さを教えてくれます。

1年生 原 千伽子