『生殖医療はヒトを幸せにするのか:生命倫理から考える』


著者情報等 小林亜津子著,光文社,2014.
寄稿者名力武 由美准教授(2015年1月)
本学所蔵なし
 あなたの遺伝子の半分がどこからきたのかわからないとしたら?いま、精子提供によって生まれてきた子どもたちが、生物学上の父が分からないことによる不安感や欠落感に悩み、その声を上げ始めています。そもそもAID(非配偶者間人工授精)や体外受精、代理母出産など生殖補助医療は、不妊カップルのどうしても子どもがほしいという願いをかなえるために生まれた技術です。そのため生殖補助医療では、不妊に悩むカップルの救済にのみ焦点があてられ、生まれてくる人たちの権利や福祉(幸福)を考えることがずっと置き去りにされてきた経緯があります。

 本書は、そのような生殖補助医療を考える上での問題点が、生命倫理の立場から明確に示されています。 第一に、生殖補助医療へのアクセスの自由の問題です。みずからの幸福を追い求めて、子どもをもちたいと願う不妊カップルが生殖補助医療へアクセスする自由はどこまであるのでしょうか。人間の自由の限界を見極める場合、倫理学では、J. S. ミルが提唱した自由主義の原則の「他者危害排除原則」が用いられるそうです。その原則を根拠にすると、生殖技術へのアクセスは、「他者に危害を及ぼさない限りで認められる」ということになります。生殖補助医療において「他者」とは、代理母、精子・卵子提供者、遺伝的つながりのない子どもを育てるパートナー、そして生まれてくる子どもたちです。

 第二に、AIDで生まれた人たちの出自を知る権利と精子・卵子ドナーの匿名の原則の対立の問題があります。生殖補助医療では、ドナーの匿名の原則がよしとされてきましたが、ドナーである自分の生物学的な父親を知ることのできない子どもたちにとってはアイデンティティの根幹に深く影響しているのが現実です。AIDで生まれてきた子どもたち自身が出自を知る権利を主張しはじめ、自ら生殖医療技術をめぐる議論にかかわり始めています。
 第三に、生殖補助医療をめぐる温度差です。生殖技術を利用する親とそれによって生まれてくる子ども、彼ら当事者とその他の人たち、不妊治療を受ける患者と医師たちとの間には認識のギャップがあります。生殖補助医療になじみのない人たちは、科学技術の力を借りてまでも子どもがほしいと願う不妊カップルの気持ちは理解できないかもしれません。ゲイのカップルが子どもを持ちたいと願ったり、卵子の老化におびえ卵子凍結を望んだり、産める時期を過ぎても産みたいなど、それぞれの立場を認識することが議論を進める重要なステップだと、著者は述べています。

 第四は、生殖技術の進展に法律や倫理が追いついていないという問題です。AIDで生まれた子の権利については、昨年秋の国会にも法案が提出されましたが、法案自体に子の出自を知る権利は明記されていませんでした。どこのだれかもわからない遺伝子上の父親と法律上の父親との間で子どもが苦しむことのないようにとの考え方から、また精子を提供する人のプライバシーを守るという点から、精子提供者の身元は知らせないことになっています。また、近年出生前診断によって遺伝子の異常などを知ることができ、産む/産まないを出生前に選択できるようになりました。また、日本産婦人科学会(自主規制)の会告を無視した国内での代理母出産の施術例、海外に行っての代理母出産の例も後を絶ちません。つまり、生殖補助医療については法律も倫理も整ってはいないなか、生殖医療のニーズの高まりに応えようとする技術の急速な進展を背景に、生殖医療の利用者は増えている実情にあります。

 本書は、生殖補助医療をめぐる問題から、家族とは、親子とは、人間のウエルビーイングとは、という根本的な問いにまで読者を導きます。考える材料に、映画やマンガなどの作品が多く使われている点にも、当事者の心情を理解しやすくし、さまざまな立場の当事者(ステークホールダー)と被当事者との間の認識のギャップを埋めようとする著者の意図が伝わってくる書です。