『決壊』


著者情報等(上・下)平野啓一郎著、新潮社、2008.
寄稿者名教授 篠﨑 正美(2009年12月)
本学所蔵http://opac.jrckicn.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=34289
実証主義で這い回る生活をしてきたせいか、定期的に、無性に小説に手が出てしまう。

 フィクションやノンフィクションから、人間と社会・歴史の深みを抉り取ったものに出会うと、「うわーっ、やられたなあ・・うちらがやらないかんのに・・・」と、自分の無能に気づき、やる気を失ってしまう危険が大いにあるんだけど。有吉佐和子の『恍惚の人』とか、石牟礼道子の『苦界浄土』などはその例。昨年は、ちょっと意味は違うが、村上龍の『半島を出よ』(上・下)も、その類のひとつ。(まだの方はおすすめします)。

 平野氏は気になっている作家の一人。といっても全部読んでる暇はないわけで、芥川賞受賞の『日蝕』とか、ネット社会のコワサを知らしめた『顔のない裸体たち』くらい。表題のこの本も、「なにが、どう壊れたんやろう・・・?」と思いつつも、何かただならない気迫を感じて図書館の本を借りて読み、もう一度読もうと、福岡日赤前の古本屋さんで買って読み直した。

 「決壊」は、ネット社会の問題を、家族の内部崩壊、個々人の人格分離症状的病理、遺体切断や連続殺人などの犯罪へどう連なっていくかを通じ、神戸の少年A(サカキバラ聖斗)事件の後日への拡大を予言するかのように、怖―くえがいている。 

 ストーリーはこう。二つの家族が登場する。中学生Xは、体育の時間中に教室に入り、クラスメートYのケイタイから、写真をコピーする。それには彼が好意を持っている少女ZがYとセックスしている噂のシーンがある。少年Xはそのコピーを掲示板を通じてばら撒く。Xへの少年たちからのリンチ、学校中の大騒ぎ、Xの家族の動揺、モンスターペアレンツ的な母親の登場と、「孤独な殺人者」を夢想する少年Xの内面が語られる。

 もうひとつの家族。夫Dとその妻E。Dの兄F(Eからすると義兄)はエリート公務員で独身。かれらは当然のことだが、自分のネット上の名前を持っている。ただ、かれらはそれに加えて、別の自分の架空の名前をネット上に持っている。つまり、3人の間には、それぞれD´、E´、F´というバーチャルな人間たちが行き交い、ネット上でコミュニケーションをしているのだ。しかし、各人は、バーチャルな会話の内容からして、D´、E´、F´が、実在のDEFであることを了解している。ところがそこに、DEF、D´,E´,F´しか知りえないことを話す“666”なる人物が登場する・・・・。Eは、“666”が、義兄のFであり、F´でもあると思い込む。なぜかFが二つ目のバーチャルな名前を使って自分に話しかけているものと思うのだ。夫Dが、京都で義兄と会うといって出かけた夜、殺される。しかも無残な切断遺体が次々と発見され、他にも、同様な別人の死体が発見される・・・・・。Dと最後にあった人物のFは、義妹の証言で容疑者として拘束される。Fは、警察の執拗な追及を受ける中で、「・・・自分だったのかもしれない」という幻想にとらわれる。読者も、その思いに取り込まれそうになるのだ。

 「決壊」。何が決壊しているのか?亢進し氾濫する「自分だけ」主義と、増殖するネット社会において、家族は無力化し、社会的規範は決壊。各人の人格も境界を決壊させると同時に多重人格化していく。そして、本当の犯人は・・・?