2019年度 学長室便りNo.3 偉大な二人の国際人とのお別れ

2019年も2週間余りになり、今年を振り返る機会が増えてきましたが、学生の皆さんにとって、今年はどのような年でしたでしょうか。今年の流行語大賞はラグビーワールドカップで有名になった“one team”でしたね。11月の遙碧祭では、大学生活を始めて半年余りの1年生がone teamとなって大いに盛り上がり、楽しい1日を送ることができたようです。私も楽しませていただきました。

私にとって今年の後半は、著書や講演会、マスコミ報道等のいろいろな機会を通じて、強く尊敬の念を抱いていた緒方貞子さん(享年92歳)と中村哲先生(享年73歳)が相次いで亡くなられるという、大きな衝撃を受けた年でした。お二人の共通点は、人間の命と生活に対する深い洞察のもと、エネルギッシュに行動なさることでした。お二人とも赤十字に直接関わっていた方ではありませんが、人道精神の力強い実践者であることは誰もが認めることでしょう。

緒方さんは63歳で就任された国連難民高等弁務官としてのご活躍が有名です。サラエボやアフガニスタンの難民支援にあたっては、自ら防弾チョッキを身につけて現地に乗り込み、何が必要かを自身で判断し指揮するという現場主義を貫かれました。TVでも報道されたその姿は、今でも目に焼き付いています。緒方さんは2003年に国際協力機構(JICA)の理事長に就任なさいました。多くの本学教員も関わった「インドネシア国看護実践能力強化プロジェクト」(2012~2017)には、私も前職時代、プロジェクトの立ち上げ準備から関わっていました。その最初の会議の折、私はJICA職員に対して、なぜ経済連携協定(EPA)にJICAが関わるのかを尋ねました。その答えは、「EPAの一環で来日したインドネシア人看護師たちが、日本の国家試験になかなか合格しないのは何とかしないといけない、JICAとして何ができるか案を出すように、との“ツルの一声”があった」ということでした。日本とインドネシアの国際関係に軋みを生じかねないと、緒方さん自身が懸念されてのご発言だったのだろうと推察します。
 
NPO法人ペシャワール会の現地代表である中村哲先生は、志半ばの12月4日にアフガニスタンで凶弾に倒れ、その尊い命を奪われました。11日、告別式が福岡斎場で執り行われました。1,300人を超える方が参列されたとのことで、その様子はTVや新聞でも大きく取り上げられましたので、皆さんもご存知でしょう。中村先生は平成25年6月から28年5月まで本学の客員教授であり、学生に講演をしていただきました。そのご縁で、私は告別式に国際看護実践研究センター長の小川里美教授とともに参列しました。ペシャワール会代表者、アフガニスタン駐日大使、大学、高校、中学の同級生、先生が中学時代に教会に行き始めた頃の牧師さま、いとこの皆様方の弔辞は偉大な人を突然に失った悲しみと悔しさ、先生への深い感謝にあふれ、時にはクスッと笑える人となりも語られるなど、私にとっても深く心に残るお別れでした。

皆さんもご存知の通り、中村先生は戦争と大干ばつで荒れ果てたアフガニスタンの地で、医療活動だけでなく井戸掘りや灌漑用水路の建設に尽力されました。感染性下痢などで命を落とす幼子の診療を通して、100人の医師よりも1本の井戸が命を救うとの考えに至り、1,600を超える井戸を掘ったとのことです。また、人々の幸せは、生まれ育った土地で家族と共に3度の食事ができることとのお考えから、「死の谷」と呼ばれる砂漠を農業ができる土地にするため、2003年から「緑の大地計画」に取り掛かられました。今は16,500ヘクタールが耕作地や公園になり、65万人の命を支えるまでに発展しているとのことです。灌漑用水路建設の時には、2001年9月に米国で起きた同時多発テロを引き起した武装組織タリバン掃討のための米軍ヘリが頭上を飛ぶ中での活動であったそうです。

中村先生は「飢えや渇きは武器では癒せない」「“世界平和”のために戦争するという、こんな偽善と茶番が長続きするはずがない」という言葉を残しています。ここからもわかるように徹底した平和主義者でもあったと言えましょう。また、「どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障だった」という言葉に見られるように、戦争を放棄した日本国憲法の価値を端的に表現されています。私たちは普段、平和憲法の価値を意識せずに暮らしていますが、外国に一歩出た時には、“戦争をしない日本人”として現地の人々に認識され、友好関係、信頼関係の土台になっているのだと思います。

喪主であるご長男のご挨拶も私の心を打ちました。専属運転手や護衛の方5人が亡くなられたことへの追悼の思いから始まり、アフガニスタンでの活動を支えてくれた人たちや訃報を聞いてからお父様を迎えに行くことに尽力してくれた様々な個人、団体等への感謝が次々と述べられたのです。そして最後に、お父様から学んだこととして、家族や人の思いを大切にすること、本当に必要なことを見極めること、必要なことは一生懸命行うことと結ばれました。

確かに中村先生のなさってこられたことを見ますと、最初は医療支援から入られましたが、飢餓た貧困といった根深い問題が健康やテロなどの社会問題の根底にあると気づかれ、緑の大地計画の活動に発展していったのです。中村先生の生涯は、まさに事の本質を見極め、その対処に懸命に取り組んだ一生だったと改めて思います。

本学の図書館には、中村先生、緒方貞子さんのたくさんの著書が所蔵されています。学生の皆さんには、ぜひ年末年始の間にでも、その思想と行動の軌跡に触れてほしいと願わずにはいられません。

皆さんにとって、2020年が夢の実現に向かう良い年になりますように願っています。